『とあるホモ大学生の日常。』

とあるホモ大学生のブログです。哲学 投資 悩み相談 書評などなど書いていきます。

【同性愛】ゲイの価値を下げているのはノンケを好きになる一部のゲイたち

 

皆さん、お久しぶりです。

 

とあるホモ大学生です。

 

ゲイの方がよくノンケの方に言われることについて書いていきたいと思います。

 

皆さん誰しもノンケの方に

「男ならだれでもいいの?」と一度は聞かれたことがあると思います。

 

私はいつもこう思います。

「誰でもいいわけねえだろ!ふざけんな!」

 

しかし、なぜそのくだらない質問をされるのか考えたことはありますか?

 

私が思うにその原因は

ノンケが好きな一部のゲイたちによって作りあげられたと考えています。

 

メディアによる世論形成

メディアにしばしば登場するオネエと呼ばれる方々に人気が集まった時期がありました。

そこで目につくのが、オネエの方がお笑い芸人や俳優の方との性的なカラミ。

はたから見ていると、ゲイやオネエの方は男性に対して非常に積極的な人に見えるのでしょう。

その姿はかなり滑稽に映ると同時に異性愛者の方の偏見を生み出す大きな力になったと私は思います。

もちろん、オネエ芸能人の方々も生活がありますので、それを仕事にすることは良いことだとは思いますが、テレビ局はそのようなリスクがあることを承知で彼らに仕事を与えていたのでしょうか。

オネエの方もそのようなことが生じる恐れがあると危惧していたのではないでしょうか。

私には最近話題になった日大ラグビー部問題と似たようなものに映ってしまっています。

 

私は基本的に朝のワイドショーは見ないことにしています。

各出演者が個人的な意見を言う場は正直言って必要ないです。

どのニュースにしてもテレビ局側の意見が盛り込まれているようで、吐き気すら感じてしまいます。

 

ノンケ好きになるゲイたち

先日、大学の同級生(ノンケ)が他の同級生(ゲイ)に告白されたことを私に相談してきました。

彼(ノンケ)は相当ショックなようでした。

本人は作られたゲイの印象を鵜呑みにしていたのです。

そして、彼の偏見を助長する結果となってしまったのは言うまでもありません。

話を聞いていて関係ないながらも彼に同調してしまいました。

自分は犯されてしまうのではないか。そう話してくれました。

 

それと同時にもう一方の彼(ゲイ)をも心配していました。

自分に対してのリスク管理が甘すぎる。。

アウティングされるリスクがある。そのことを彼は考えていたのでしょうか。

 

恋とは恐ろしいものです。恋をすると周りも、自分も見えなくなります。

ましてや、性的指向の異なる相手になるとなおさら恐ろしいものです。

 

結論

今、ノンケに恋をしている方へ

ゲイがノンケと恋愛関係になることはほとんどないのが現実です。

99パーセントないと思ってください。

それは漫画やドラマの世界です。

 

未だゲイに対して偏見がある時代です。

今告白することによって傷つく相手もいることを頭に入れておいてほしいなと思います。

 

 

P.S.

ブログの更新が遅れてしまい申し訳ございません。

大学のほうが忙しくなっていますので、不定期に更新したいと思います。

 

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俺氏 ホゲってることを告白したら外出禁止令出される。

皆さん、こんばんは。

 

とあるホモ大学生です。

 

先程某出会い系アプリで

外出禁止令だされたのでその会話の一部始終を解禁したいと思います。

 

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家でなら会えるけど、外ではきつい。

 

外で会えないならそもそも家すら行けないと考えてしまった私はバカなのかな。

 

最初の方の会話では彼氏探してますって言っていたのに、 

その他枠で会うときた。

 

一気にワンナイトラブまで降格か。

よくてセフレか?

 

よくわからないし、考えるのもめんどくさいので、

 

お母さんに聞いてみます。

 

その他ってなんですか?

 

 

 

以上乱文失礼しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

生きるのがつらいなら暇な時間をなくそう!!!

皆さんこんにちは。

 

とあるホモ大学生です。

 

 

 

皆さんは、将来に対して不安を抱いたりするときはありませんか?

 

 

このままでいいのかな?

他にするべきことがあるんじゃないかな?

でもどうしたらいいんだろう?

 

このような疑問が心の中で生じ、押しつぶされそうになることがあります。

 

以下で私なりの解消法をご紹介します。

 

 

 

 

「何かに全力で取り組む」

 

 

 

以上です。(笑)

 

大学でフランスの哲学者パスカルが書いた「パンセ」という本についての授業を履修しています。

 

その中にこのような一節があります。

 

倦怠。

 人間にとって、完全な休息のうちにあり、情念もなく、仕事もなく、気ばらしもなく、集中することもなしでいるほど堪えがたいことはない。

 すると、自己の虚無、孤独、不足、従属、無力、空虚が感じられてくる。

 たちまちにして、彼の魂の奥底から、倦怠、暗黒、悲哀、傷心、憤懣、絶望がわき出るだろう。

出典元:「パンセ」 著者:パスカル 訳者:前田 陽一 由木 康

発行者:大橋 善光 発行所:中央公論新社 2015/08/20 35刷発行

 

見事に私のことを言い当ててるパスカルさん、、、

 

この一節を読んで今までの苦しみを少し理解することができました。

 

人間は、努力することを辞めてしまうと精神的に死に追いやられるんですよね。

 

友達と遊びに行ってても、今やることは遊ぶことじゃないんだよなあ、、、

ゲームをしていても、今やることとは違うんだけどなあ、、、、

 

結局人間にとって気晴らしが最高の幸せではなくて、

何かに真剣に取り組んで、努力することが幸せなんだなと気づくことができました。

 

ところで、他の大学生は何を考えているのでしょうか?

 

たぶん、セックスなんだろうな、、、、(笑)

 

 

以上乱文失礼いたしました。

 

 

 

 

【同性愛】ゲイなの?って聞かれた時の対処法!

 

皆さんこんばんは!

 

とあるホモ大学生です!

 

今回は、「ゲイなの?」と聞かれた時の私の対処法をご紹介します。

 

最初に結論を書きます。

 

聞かれたら核心に触れさせないよう受け流す。

 

です。

 

先日、新しいアルバイト先の同僚に聞かれました。

 

まず、私は「そう見えますか?(笑)」と答えます。

すると相手は次になぜそう見えるのか言ってくるんです。

 

 「なんかしぐさが女々しいし、口調も若干オネエっぽいし、、、、、etc」

 

で私はすかさず「えー!!そう見えるんですか?」と答えます。

 

最後に相手は決まって「実際どうなの?」と聞いてくるので、

私は「どーなんでしょうね????(笑)」と答えます。

 

すると大体聞いてきたほうは不思議がった顔をします。☜実はこれが楽しい!(笑)

 

なぜ正直に言ったり、否定しないのか。

 

理由は

 

私が同性愛者か否かなんて聞いてきた人には関係ないからです。

 

打ち明けたら打ち明けたでズカズカと自分のプライバシーに踏み入らせてしまうだけですし、

否定してしまったらなんか後味悪いし。

 

そもそもセクシャリティのカミングアウトを

強要してくる人の人間性なんてたかが知れてるので、無理に接する必要もないんですよね。

 

これって一種のセクハラに当てはまらないのでしょうか?

 

ちなみに私のバイトは教育関係なので相当同僚の倫理感やばい(笑)

 

てかなぜそんなに親しくもないのに話さないとならんのか相手のデリカシーのなさにイラつきますね。

 

でも本当に不思議なことに逆に生徒のほうはそういうことに踏み入ってこないんですよ!!!!!

しっかり学校で教えてもらってるからなんですかね?

子供にはできて、大人にはできない。なんとも不思議なことでした。

 

以上乱文失礼いたしました。

 

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↑こちらでいろいろ思うことを書いているので、よろしければ見てください。

 

 

 

 

 

【恋愛】すぐ別れる人の特徴

皆さん、こんばんは!

 

とあるホモ大学生です。

 

今回は、すぐ別れる人の特徴を書いていきたいと思います。

 

【目次】

 

1.束縛する

まずは、束縛する人です。

束縛する人の心理はいったい何なのでしょうか?

 

私が思うに、束縛する人は自分に対して、自身がない特徴があると思います。

相手から愛されていることに自信が持てないのです。

 

この特徴を持つ人は、いわゆるメンヘラという精神疾患を併発している可能性があります。

なので、相手の方から重い人という印象を与えてしまい、後になってめんどくさがられます。

 

2.何かと相手のせいにする

次に、何かと相手のせいにする傾向があります。

これは、人間の性質から考えると致し方ない部分でもあります。

自分の非を認めることは人間にとって大変つらいことだと思います。

 

しかしそれと同時に自分の成長を止めてしまう恐れがあります。

こと恋愛においてもそうです。

 

恋愛に失敗しても別れた原因を相手のせいにしてしまうことは、簡単ですが、自分のせいだと認識するのは大変難しいことです。

 

恋愛において成功する人とそうでない人の違いは、とらえ方の違いにあるのではないでしょうか。

 

3.価値観が合わないを破局の原因にする

よく芸能人が破局や離婚の原因にする【価値観】というワード。

要するに性格が合わないという意味です。

 

そもそも自分と性格が合う人はいるのでしょうか?

 

そんな人は絶対にいません。

 

そんなものを理由に挙げることすらおかしいのです。

 

絶対にいないのですから(笑)

 

価値観が合わないことを前提として付き合っていくことを強くお勧めします。

もともと合わないことを理解しておけば、お互い歩み寄ることが可能になります。

 

そうすることによって自分の悪さも見えてくるようになるのです。

 

4.恋愛コラムを読みすぎる

私は恋愛コラムが嫌いです。

 

内容がほとんど自分を顧みずに相手をコントロールしようとする内容ばかりだからです。

あれは誰が書いているのでしょうか?(笑)

 

これからは恋愛コラムなんか読まずに、自分と向き合うことをお勧めします。

 

まとめ

結局は恋愛においても、学業においても、仕事においても、

自分との戦いです。

 

自分が実行してきたことのすべての責任を自分で負うことが必要なのです。

 

恋愛は相手が絡んだ問題であるため、相手のことを気にしがちですが、

結局は自分に跳ね返ってくるのです。

 

あなたが選んだその人は、あなたのものではありません。

 

以上乱文失礼いたしました。

 

 

【恋愛】ゲイの私の恋愛観

皆さんこんばんは。

 

とあるホモ大学生です。

 

今回は、自分の恋愛観について書いていきます。

 

同性愛者であるということを理由に挙げるのはよくないとは思っておりますが、

こと恋愛に関して本当に、

 

「出会いがねええええええええ!!!!!!!!」

 

と思います。

 

ただ単に自分がゲイの方にモテないんでしょうが、周りにゲイ友達がいないんです。

いろんな出会い系アプリにも登録してますが、

みんな恋愛を求めているかというと、そうではないんですね。

 

周りのノンケ友達はよく彼氏、彼女の不満を私に打ち明けてくれますが、

ことあるごとに私は、

 

「出会えてるだけましやん!!!!!」

と思います。

 

人の話を聞いているだけで恋愛は難しいものだと感じてしまいます。

 

みんな付き合う前は楽しいようなのですが、付き合って慣れてくると相手の嫌なことが見えてくるようです。

 

では、人は相手のどこを好きになるのでしょうか。

 

見た目?性格?能力?

 

まず、見た目についてです。

第一印象で人は判断すると思います。

清潔感だったり、自分の好みだったり、、、

しかし、いざその”美しさ”が病気、事故等で無くなってしまうと、人は元の姿でなくなった人を愛せるのでしょうか?

 

 

次に性格です。

性格も流動性があると私は思います。

付き合う前は優しい人だったのに、同棲したらDV男、女だったりすることはよくある話のようです。

また、価値観の違いで別れるという話もよく聞きます。

 

このことからも、人は相手の性格を愛しているのではないと思います。

 

 

また能力はどうでしょうか。

これも性格と同じように大きな流動性を持っていると思います。

 

戦力外通告を受けたスポーツ選手、自己破産した会社社長、

例を挙げたらキリがないですが、、、

 

その人が作り上げてきたその人自身が、崩れ落ちれば、

その人の愛されていた魅力もなくなるのです。

 

優れていると思っていた人が凡人になり下がる。

その絶望感は少なくとも破局の原因の一つになると思います。

 

 

では結局、人は人を愛することができないのでしょうか。

私は見た目、性格、能力のどれでもなくその人自身が持つ”性質”だと私は思います。

 

 

そこでの性質の意味は、その人の存在が持つ力のことを指しています。

存在感という言葉が一番に当てはまるのではないでしょうか。

 

その人の見た目が変わろうとも、性格が変わろうとも、能力がなくなろうとも、

その人の性質、存在感を愛していれば、両者におけるあらゆる問題は乗り越えられると思います。

 

なぜなら、その人の何が変わろうともその存在は普遍的だと思うからです。

 

ここまでかなり抽象的な話になってしまいましたが、私が伝えたいことは

見た目、性格、能力を恋人探しの項目にしているようでは一生愛することにたどり着けないということです。

 

 

ただそこにいてくれればよい

 

簡単なようで一番難しいこの感情を持つことが愛するということであり、

一生ものの愛なのではないでしょうか?

 

以上乱文失礼いたしました。

 

追伸

自分の想いを文章にするのはとても難しいですね(笑)

 

今回の記事は、もっと考える時間が欲しかったですし、

読者の皆さんに誤解を与えてしまうことになりかねないですね、、、

 

もっと勉強しますが、現段階の自分の出来ということで評価していただけると幸いです。

 

頑張ります。

 

 

 

 

 

【不登校】学校なんて行かなくてもいいんだよ!

皆さん!こんにちは。

 

とあるホモ大学生です!!

 

今回は不登校について書きたいと思います。

 

僕自身高校は一年間しか通っていません。

その学校はいわゆる自称進学校でした。

 

「受験は団体戦だ!」

「私たちのカリキュラムにそえば絶対にどこの大学でも行ける!」

 

などなど、今思えばわけのわからないことを全校集会で言っているような学校でした。

 

まず、そこでこの学校は生徒を学校のパンフレットに載せる大学合格者の数字としか見ていないことは十分考えられました。

 

でも、自分はこの学校に部活目的で入ったので、聞き流していました。(ちなみに部活は音楽関係の部活です。)

授業が終われば大好きな部活、楽しい部活、そんな頑張れる自分の居場所があったのにも関わらずなぜ辞めなくてはならない状況に追い込まれてしまったのか。

 

 

一つ目は、部活の顧問が原因でした。

 

 

彼は、部活に対しては厳しいという前評判があったのですが、私が入学してから部活の時間に東大、名大、慶応、早稲田などの大学入試問題をやらせるようになったのです!

 

それが自分にとって苦痛で時間の無駄でした。

 

なぜ音楽の教員免許しかもっていないにも関わらず英語の難しい入試問題を解かせようと思ったのか、全くもって意味不明でした。

しかし、部活内では顧問が絶対

そういう風潮が少し前でもありました。

 

それがたとえ、相手を傷つけることでも逆らったら居場所がなくなる。

それがおかしいことに学生は気づけないのです。

 

現に自分もそうでした。

 

なぜ入試問題を部活の時間を削ってまでやる必要があったのか。

あの時もう問題解きたくないです!と言っていたらきっと殴られていましたね(笑)

 

そしてその苦痛の日々が続いた結果、先日記事にもしましたが、私は過敏性腸症候群になってしまいました。

 

自分の身体を壊してまで踏ん張り続ける必要があったのか今でもたまに考えてしまいます。

 

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 二つ目は、担任の先生の対応です

 

皆さんは ”先生” に対してどのようなイメージをお持ちでしょうか?

 

先生なんだから生徒に対して常に明るく温かく接していると思いますか?

 

残念ながら、僕はそうは思いません。

僕は不登校になる前、保健室に自由登校していました。

そこで度々担任と面談をすることになっており、最初の面談で担任に顧問に部活動の時間を奪われている、クラスの雰囲気が悪くなっている、などなど不満をぶつけました。

 

しかし、担任は

「そんなに嫌なら図書館に籠っていろ!!!!!!」

と私に言い放ちました。

 

 

私は今でもこの言葉を忘れません。

 

この発言により、私は心底 ”教師” というものに失望しました。

それからというもの、全然関係のない教師も担任のように変な大人に見えてしまい、もう学校どころではありませんでした。

 

 

しかし、そんなある日、私にも学校にも見かねた母親が

「高校卒業程度認定試験があるけどね、、、、、」

 

と車の中でつぶやいたのです。

 

調べてみると、中卒でも大学の入学試験が受けられるようになる資格というものでした。

 

 

「これしかない!!!!」

 

”先生”という存在に疑問を持っていた私にとってその資格は夢のようなものでした。

もちろん独学です。

 

 

後日、母親に高校を中退してその試験を受けて大学に進学したいという旨を伝えると、

言い出しっぺの彼女に猛反対されました(笑)(今思えばなんでやねん!)

 

理由は

  • 今高校を辞めたら、大学に行っても、就職しても、すぐにあきらめる癖がついてしまう。
  • 中卒という学歴がついてしまうことが後々の人生に響いてくる。
  • 独学は厳しい。
  • 社会のレールから外れてしまう。

でした。

 

その時私はこう思いました。

 

「死ねって言ってるのかな?」

 

当時は本気でそう思いました。

 

学校が居心地の悪い場所になった、先生嫌いになった、それでもそこに通い続けろと?

 

母親を説得するのに二か月も費やしてしまい、大変精神的につらかったのですが、

何とか母親が折れてくれました。

 

そうして晴れて私は中卒になりました。

 

この一連の騒動で私が何を言いたいのかを以下に書きます。

 

学校に通うことは義務なのか義務感なのか

 

私が不登校で悩んでいる生徒さん、保護者の方に伝えたいのは

 

学校に通うことは義務ではないということです

 

なぜ自分にとって居心地の悪い場所に通い続け、精神をすり減らし、時間を無駄にする必要があるのか。

 

なぜ社会のレールから外れたら自分の人生が終わってしまうと考えてしまうのか。

 

考えてみてください。

 

不登校は悪いことですか?

 

つらかったら逃げてもいいのです。

 

それは義務ではなく、あなたが勝手に作り上げている義務感です。

自分で生きづらさを作り上げているのです。

 

それに気づければあなたの人生はもっと自由に輝けるはずです。

 

若いうちにこのことに気づくことができて、私は自分の人生は自分で決めていくということができるようになりました。

 

たとえ自分の決断が誤りだとしてもそれに気づくことができれば、死にません。

どんなにどん底でも。

 

 

以上乱文失礼いたしました。

 

カミングアウトは義務なのかという疑問にも答えています。

良ければのぞいてみてください。

 

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